「ニュー・シネマ・パラダイス」、残りの50分に描かれたトトの恋の行方

映画の「大作」を観た。
たくさんのエピソードがどれも胸を打ち、壮大なドラマに仕上がっている、そんな映画でした。

「ニュー・シネマ・パラダイス」。

   →ニュー・シネマ・パラダイス(Wikipedia)

名作中の名作だけれど、初めて観ました。

戦後のイタリア、シチリア島の村。

映画館の映写技師、アルフレードと、映画が大好きな子ども、トトとの友情が軸になって、映画がかつて大衆をどれだけ楽しませていたかが描かれる。

ある日、事件が起きて、小学生のトトは「パラダイス座」の映写技師を務めることになる。

トトは成長し、エレナと出会い、恋に落ちる。
しかし、別れ。

トトは、アルフレードの言に従って、村を出て、後に映画監督として大成する。

30年を経て、アルフレードの訃報に村へ戻って来たトトに思い出されるのは……。



印象に残ったシーンは数あるのだけれど、教会でトトがエレナを口説くシーンがすてきでした。
(エレナ、きれいだ)

イタリア男は若いうちから口説くのがうまいな、と感心させられた反面、トトの若い情熱が素直にしかし抑制されて告白され、これなら私が女性でも、気になって仕方ない男になっちゃうだろうな。

彼は、いったんふられるんだけれど、一途な情熱を見せて、恋は成就する。
(アルフレードの問題「兵士が99日目に立ち去る」理由がわからない)

それから、映画を観る人々の幸福な熱狂。

映画館に集って、映画を楽しむだけじゃなく、居眠りしたり、悪態をついたり、不倫してたり、いいシーンになると大人も子どもも大歓声を上げる。

何時間も待ったのに閉館の時間になった群衆が、広場に映しだされる映画に歓喜するシーン。

隣村の映画館とフィルムを自転車で交換する場面は、かつて日本でもそうだったんだよなあ。

そして、ラスト。

アルフレードの形見のフィルムをひとりで観たトトが、子どもの日々を思って涙するシーンは最高。
笑えて泣ける。

こんなフィルムをトトに残したアルフレードの粋。

この映画のバージョンは3つあって、今回観たのは、123分の「海外劇場公開版」。
2002年に公開された173分の「ディレクターズカット版」(完全版)がDVDで観れます。

この50分に描かれたのは、トトが大人になってからのことらしく、全く違った映画になってるよとの評。
エレナとの恋の行方が描かれているらしい。
きっと観る。

古いモノクロの映画が数々挟まれて、昔の映画好きにはこたえられませんね。
モリコーネの音楽は、感情の高ぶりをうまくコントロールして、すばらしい。

それにしても、当時の映画を観る人々の楽しそうな顔ったら、ないね。

現代、テレビやインターネットのおかげで、映像が世の中にあふれかえっているけれど、それが人間の幸福にどれだけ貢献しているのかわからない。

人間の生きがいはいずれ心のなかと記憶にしかないのだから。

イタリア映画会を主宰していただいているSさん。
すばらしい映画とトークとコーヒーをいつもありがとうございます。


妻が大発見!ひみつのアッコちゃん「すきすきソング」の元唄

妻が大発見をしました!

彼女、古い和歌や川柳、民謡、唱歌などから「美しい日本語」的なフレーズを集めた本を読んでいた。
(何の本だったか、聞き忘れました)

そこに、「ひみつのアッコちゃん」のエンディングテーマ「すきすきソング」の元唄発見!

まずは、「すきすきソング」の歌詞。

   →すきすきソング「ひみつのアッコちゃん」(音声注意!)

そして、元唄。


驚いた。似てる。
繰り返しのしつこい感じまで。

「おぼこ」は東北地方で「未婚女性」や「跡取り以外の娘」を指す言葉。性的にかなり開放的だった昔の農村地帯では、おばこをナンパしようとする若い男たちの行動が目立った。それを揶楡したのがこの歌である。

昨日、太宰治の「冬の花火」の朗読を聞いていましたが、青森では戦後まで夜這いの風習が残っていたように書いてありました。
おもしろいねえ。

荘内は庄内とも書くが、最上川の下流地帯で、山形県随一の米どころで島民たちの懐も豊かだ。だからこんなユーモラスな歌が歌われたのだろう。

なるほど。
生活に余裕がないとこんな唄生まれないよねえ。

で、調べてみました。

「すきすきソング」の作詞だれだっけ?

井上ひさし(!)、山元護久のコンビ。
山形つながり発見。

井上ひさしさんに、直接聞いた人がいて、言質をきっちり取っていました。

「あれ(アッコちゃん)は(庄内おばこを)もじったの。」

   →山形県庄内地方の風習(庄内を遊ぼう)

さすが、大作家は違う...
「温故知新」という言葉を、ひさしぶりに思い出しました。

ちなみに、作曲は小林亜星。
歌、水森亜土。

おおお、すごい。
(この件は、後日書く!)

子どものころから、少女マンガのエンディングに異質な不思議な曲だと思って、好きでしたが、この高い芸術性。
感動モノです!!

ちなみに、ウチの妻も「アッコちゃん」。
大発見、でかした!

   →ひみつのアッコちゃん(Wikipedia)

   →「すきすきソング」(全曲版)(YouTube)

アッコちゃん、上目遣いがかわいいね。




オトナなジャズ歌手「ギラ・ジルカ」発見。え、みんな知ってるの?

iPodに、稲垣潤一「男と女」を入れて、通勤(帰り道)に夜な夜な聴いているおとこざわです。

(稲垣さんと実力派女性歌手とのスタンダードナンバーのデュエット集。
みんなさすがに上手くて。感情を自由にコントロールしてる。
控えめな稲垣さんの歌が、女性たちの個性を引き立てていて、なぜか嫉妬。)

最近、オトナなジャズ歌手を発見したので報告します。

ギラ・ジルカさん。

   →Geila Zilkha Official WebSite
イスラエル人の父と日本人の母を持ち、神戸で生まれ育つ。
英語と日本語を自由に使いこなすヴォイスキャラクターが各方面から期待を集めている。
小田和正や今井美樹のヒット曲を日本語歌詞を生かして英訳したものを、
カヴァーソングアルバム"SONGBOOK"に提供。
インターナショナルなエッセンスと、
母国語である英語と日本語がブレンドした音楽を目指す。

かつてはテレビ番組にタレントとしてよく出ていたようですが、知りませんでした。

大手企業のCMソングを歌ったり、大学で講師をしたり、ゴスペルグループを率いてニューヨーク講演を行うなど、実力派らしい。

小学校のときに、「デビッド・サンボーンになりたい」とアルトサックスをはじめ、バークリーでサックスとボーカルを学んだとのこと。

で、YouTubeで探してみました。



矢幅歩さんというジャズシンガーとデュオを組んで活動している。
心ときめく胸騒ぎのサウンド。

ハスキーで包み込むような声。

僕、悲しくなったときに口づさむ「My Favorite Things」が、こんなにソウルフルになるとはね。

ソロ歌手としても、プロ活動20年目の今年、アルバム「all Me」を発表。

「イパネマの娘」「夜も昼も」とかジャズのスタンダードが多いのですが、ラストはなぜか「竹田の子守唄」。好きなのかな?

視聴してみましたが、「ス・ワンダフル」が、ギター一本の伴奏で、スリリングでよかったです。

ところで、お名前は?
《ギラ》はヘブライ語で「喜び」という意味。イスラエル民謡で、ハリー・ベラフォンテのヒット曲、"Havana Gila"…「喜び・お祝いの曲」から来ています。
お父さんが名付けたのでしょうね。
名前はその人の一生を決める言霊を持っているって、最近、とみに思う。
ほんと。

Geila Zilkha
バウンディ
¥ 2,625


八軒中「吹奏楽・合唱部」が全国大会にダブル出場!え、メンバー同じだって?

アマチュア音楽界の国内最高峰とされる全日本吹奏楽コンクールと全日本合喝コンクールの各全国大会ですが、仙台市立八軒中学校が両方に出場を果たし、吹奏楽では銅賞、合唱では銀賞を獲得しました。

すごい!

...とこれだけでもたいへんなことなのに、出場メンバーが同じで、10/30東京で開かれた吹奏楽と翌日10/31兵庫県西宮市の合唱をハシゴしたんだそうだ。

八軒中の「吹奏楽・合唱部」。

吹奏楽は、「吹奏楽の甲子園」といわれる第58回全日本吹奏楽コンクール。
全国から約2600校が参加する中学の部(大編成)を勝ち進んだ。

    →全日本吹奏楽コンクール(Wikipedia)

自由曲は、ラフマニノフ「交響曲第2番」より第3・第4楽章。
(心がゆったり揺れ動く緩徐楽章だよね。
吹奏楽でどうやるんだろ?)

合唱は、中学数百校が参加した第63回全日本合唱コンクール、混声合唱の部。

    →全日本合唱コンクール(Wikipedia)

何十年もそれぞれの大会に関わっている主催者代表も、「初めて聞いた。表現方法が全く違うのに両方で成果をあげるなんてすばらしい。感動した」と声を揃えています。

もともと別々の部だったのがひとつになったきっかけは、2005年のこと。

音楽教諭の高田先生が一人で顧問を務めていたところ、両部がそれぞれ出場する予選大会の日程が重なって、悩んだあげく、合唱の大会を率い、吹奏楽は知り合いに頼んだ。

吹奏楽の生徒たちが泣いた。

先生は「音楽を楽しむ資質を育てる教育がしたいのに」と悩んで、そして2年後、「二つの部の顧問が無理ならば一つの部にしよう」と結論を出した。

先生もすばらしいが、これに応えた学校もすばらしい。

吹奏楽と合唱の両方を練習する負担は大きはずですが、部長の鈴木さん(女子)は「吹奏楽で和音がうまく吹けない時は、一度みんなで合唱してからイメージを合わせる」と。

高校生の時、私は吹奏楽の生徒指揮者をやっていたので、その時、こういう練習やりました。
自分でも、学校帰りとか歌って帰ったよ。

2大会を終えた鈴木部長は、
「吹奏楽も合唱も大好き。両方の全国大会に出場できて、とても貴重な体験ができました。緊張せずに楽しめたのがよかった。支えてくれた家族や学校の先生、地域の方々に感謝の気持ちを込めて歌いました」
とコメント。

この生徒たちのなかから、音楽の指導者とか音楽家がたくさん出てきそうですね。
すばらしい。

ところで、本日11/20と明日は、第63回合唱コンクール全国大会の大学・職場・一般部門が西宮市で開かれます。

    →第63回合唱コンクール全国大会 大学職場一般部門

ここにはわが社の佐藤が、「グリーン・ウッド・ハーモニー」の一員として出場します。

あ、恩師のW先生もメンバーだ。

W先生は、「合唱団Épice」のメンバーでもありダブル出場だって?
相変わらず元気すぎる。

W先生も30年ほど、吹奏楽と合唱の指導を掛け持ちなさっていた方です。
その間、出産と育児をされていたんだからすごいよねえ。

おふたりとも、演奏を楽しんでくださいね。


小説「春との旅」で二度目の感動

映画「春との旅」で感動したことは、前にブログに書きました。
いまでも部屋にリーフレットが貼ってあります。

「春との旅」を見て、俺の人生がすごくいとおしくなった(おとこざわ・とおるの「めしのタネ」)

今後は、小説「春との旅」を読みました。

作家は映画の監督である小林政広さん。
当然、原作本であろうと読み進めましたが、映画の前と後が物語の中心。
映画とは二度楽しめました。

“50年間ニシンを追い続けた男”という新聞記事に興味を覚え、その孫娘・春を取材した僕。

「僕」と春とは自然に恋に落ち、結婚します。

「一度だけこの杖を投げ捨てて、おじいちゃんが旅に出たことがあるの」
引っ越しの日、押し入れから出てきたおじいちゃんの杖。わたしは、一番触れたくなかったおじいちゃんとわたしの最後の旅の話を、彼に語りはじめた。

偏屈でしかし一本気な「おじいちゃん」の人生は、家族に犠牲を強いる人生でもあった。
娘も孫娘にも。
しかし、それでも生きてきたことに価値があるのは、春の心のなかにある家族への想いが、すべて「おじいちゃん」から発しているから。

映画でいちばん心残りだったのは、春のその後でした。
小説ではハッピーエンドになっていて、とても救われました。

また、ぼろぼろ泣けました。

ところで、小林政広さん、現在は「おじいちゃん」の生まれ故郷でロケ地にもなった気仙沼市唐桑町に住んでいるそうですね。

小林政広(Wikipedia)

魂の仕事人(キャリア&転職研究室)
 
波乱万丈の生き方をなさっているようだ。
こんな方と酒を呑んでみたいですね。

そういえば、小説のなかで北海道の民宿ででた刺身の舟盛りの描写に思わず、ごくりしてしまいました。

評価:
小林 政広
毎日新聞社
¥ 1,575


イタリア映画「風の痛み」最初はよくわからなかったけど...

評価:
シルヴィオ・ソルディーニ,アゴタ・クリストフ,ドリアーナ・レオンデフ
ポニーキャニオン
¥ 3,180

舞台はスイス。
言語はチェコ語とフランス語という特異なイタリア映画「風の痛み」(2004年)。

ストーリーを単純化すると、一人で異国で生きてきて笑顔を忘れた青年がストーカーの末に愛を見つけるという話。
それでは身も蓋もないのですが、これが青年の生い立ち、移民としての立場、めぐりあった彼女の心境などをからめて詩情ゆたかに語られる映画です。

イタリア映画会で鑑賞しました。
東欧のとある国の名も無い村に生まれ育ったトビアシュは、15才の時にスイスに亡命し、昼は時計工場で働き、夜は作家を夢見てフランス語での軌筆に耽っている。過去を封印したはずのトビアシュには、小学校の先生で、母と関係をもち、自分を生んだ男を殺したことが忘れられない。朝5時に起床し労働する単調な毎日のなかで、小学校のクラスメイトであった異母妹リーヌが同じ工場で働いていることを知る。記憶と夢の女リーヌの突然の出現にトビアシュの生活は一変する。リーヌは物理の研究者と結婚し女児をもうけていた。現在の生活に満足していないリーヌは、彼女の後をつけるトビアシュに次第に打解け、彼を愛し始める。

「私はひたすらに太陽の沈む方を目指して歩いた。
西には違う国があることを知っていたからだ」

トビアシュが着のみ着のままで村から走り去るときのモノローグです。

島国であるしかも豊かな日本に暮らしていれば、別の国に亡命することなど考えられませんから、子どもでもこんなことを考えるんだと、ヨーロッパの土地柄や歴史を思ってやるせない気持ちになりました。

トビアシュが列車で移動するのは、映画のなかで2回。
国を出て、貨物列車でイモをかじっているシーンと。最後にリーヌとイタリアに出国するシーン。
この他に、トビアシュが移動する手段は、通勤のバス(後にリーヌとの密会の場所になるのだが)とリーヌの家に夜行くときの自転車。

ヨ−ロッパでは列車がしばしば国境越えの手段になるのだなあと、印象的でした。
若いころ、東欧を旅したときのことが思い起こされます。

その他にも、移民として社会になじめない孤独な環境、どうにか字を覚えて小説を書きたいという希望、理想の恋人に出会うまでのトビアシュの愛の遍歴など、描かれていることがたくさんあります。

正直いって観終わったときは、よくわからない映画だったのですが、時間を経るにつれて印象深くなる作品でした。

原作は、アゴタ・クリストフの『昨日』。

彼女は、1935年ハンガリー生まれ。
21歳のとき、1956年のハンガリー動乱から逃れるため、夫と共に生後4ヶ月の乳飲み子を連れ、オーストリアを経てスイスのフランス語圏に亡命した。
時計工場で働きながらフランス語を習得し、1986年『悪童日記』で文壇デビューを果たす。後天的に取得したフランス語を用いて書くため、やや文章にある種のぎこちなさがあるが、それがむしろ物事を端的に表現し、独特のインパクトをもった文体となっている。
『悪童日記』は、双子の少年達が戦時下の田舎町で成長し自立していくさまを描いており、一人称複数形式(「ぼくら」)を用いて成功した稀有な小説として知られている。以後、『ふたりの証拠』『第三の嘘』をあわせて完成させた三部作が彼女の代表作。彼女の小説には亡命の厳しい体験が反映されている。

『昨日』は彼女の体験とフィクションが入り交じっている模様。
映画評とかみてると、原作も読んだほうがよさそうです。
今度読んでみます。

↓バスのなかでリーヌが倒れて、夫との確執や中絶を経て、再開した二人。欧米人の恋は率直でただならぬ緊張感。




泣いてる夜くらいあるわ

女優、声優で有名な戸田恵子さんが、歌手だったことは知りませんでした。

若いころ、歌手デビューして売れなかったが、2007年、50歳を機に新曲を出すことになりました。

「等身大の自分を、若く才能のある人に書いてもらいたい」。

白羽の矢が立ったのが、中村中さん。

六本木の料理店で2人きりで会って、きりたんぼをさかなに、夜9時ごろから飲み始める。
戸田さんが自身の50年を語り、中村は「ピンと来るフレーズ」があるとメモを取った。
気がつけば、3時を廻っていた。

後日、中村さんがピアノの弾き語りで歌った曲が、ノートに手書きの詞とともに送られてきた。
タイトルに「強がり」とある。

あたしにだって泣いてる夜くらいあるわって
そんな風に言ったら
今度はみんな笑うのかしら

戸田は泣いた。
泣く暇なんてない芸能界で33年走ってきた自分の気持ちそのものだった。

みんなそうでしょ強がり

戸田さんはライブで、この最後のくだりはとりわけ心を込めて歌うそうです。

だれだって自分の人生をそうやって生きているんだよ。

戸田恵子(Wikipedia)

中村中(Wikipedia)

戸田恵子さんの歌は、素直な声ですね。
「砂に消えた涙」(YouTube)も昔の想い出を詠ってるような。




浦島太郎の話を知っていますか?

浦島太郎の話を知っていますか?

こう聞くと、ばかにするなと言われそうですが。

若い漁師の太郎が海岸に行くと、子どもたちに亀がいじめられている。
お金を渡して、亀を助けると、お礼に竜宮城へ連れていってくれる。
そこには美しい乙姫さまがいて、ごちそうや踊りでもてなしてくれ、月日が経つ。
家に帰りたいと言うと、玉手箱をもらうが、決して開けてはいけないと言明される。
地上に帰ると、風景はすっかり変わっていて、知ってる人がだれもいない。
玉手箱を開けたのはなぜだっけ?
ともかく開けてみたら、白い煙が出てきて、太郎はおじいさんになってしまう。


私はこれを、太郎が宇宙旅行に行ったのだと思っていて、光速に近い速さで移動してたから、時間の経過がゆっくりで、地球に帰ってきたらすっかり年月が経っていましたとさ。
この昔話は、宇宙人か未来人がこしらえたものに違いないと、長く信じていました。

日本書紀にも「浦島子」の話が載っていて、5世紀後半にいた実在の人物として描かれています。

海に行って釣りをしていたら、亀が釣れた。
すると亀はみるみる女に変身したので、これを妻とした。
そのまま不老不死の島、すなわち蓬莱山に舟をこいで、仙人に会った。
この後の話は、別巻に記されている。

ほほう。
丹後風土記では、もっと詳しく描かれている。

亀を釣り上げた後、舟でウトウトして目を開けたら、目の前にきれいな女がいた。
ついクラクラして、肉体関係に進んでしまった。

平安時代の「続浦島子伝記」には、妻ではなく、蓬莱山の仙女(乙姫?)とのベッドシーンが詳しく描写されていると。

浦子、神女と共に玉房に入り、玉顔を向かい合わせ、此の素質(裸身)を以って、共に鴛衾(えんきん・寝所)に入る。燕婉(えんえん)を述べ、綢繆(ちゅうびょう)を尽くし[手足を絡ませて、もつれ合わせて]、“魚比目(ぎょひもく)の興”“鴛同心(えんどうしん)の遊”...

あらら。
意味はよくわからねど、生々しい内容ではありませんか。

この最後の“魚比目の興”“鴛同心の遊”は、実は性交の体位だそうで、文部省唱歌にもある「鯛や比目魚(ひらめ)の舞い踊り」はここから意味を変えて引用したものと見られています。

浦島子の物語は、奈良時代から平安時代にかけての、貴族や知識人たちのポルノ小説であったそうです。

しかし、現代と違うのは、房中術が道教において長生きの手段として重んぜられていたこと、それから、3年間と思い込んでいた蓬莱山での生活が地上では300年も経っていたという哲学的な時間観念をテーマとしていたという点です。

このような恋愛小説は、中国でも流行していたので、その輸入版かもしれないということ。

さらに「万葉集」にも浦島子の長歌があるのですが、その話はまたいずれ。

以上は、三浦佑之「日本古代文学入門」(幻冬舎)から。

異界、エロ、グロ、ナンセンス、スキャンダル…。現代文学の意匠はすべて、日本の古代である7、8世紀に出尽くしていた!古典の現代語訳でひと通り内容がわかった後、その先の深みに降りてゆくための手がかりとなる入門書。

いや、文献を忠実に読み解いたまじめな本ですよ。

妻が図書館から借りて読んでいたのですが、表紙が美少女のヌードイラストで、タイトルとかけ離れていたので、手にとってみたら面白かったのでご紹介。

浦島太郎(Wikipedia)



詩人のブログ、レスポンスがすごい

昨日、寺山修司の記事を書きましたが、今日は寺山つながりで仙台在住の詩人・秋亜綺羅さんの話。

秋さんは1951年生。若いころ、詩人として活躍されていたとのこと。
秋亜綺羅というペンネームは、高校生のころ、寺山からつけられたものだそうで、「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)に、ハイティーン時代の詩「百行書きたい」も載っているそうです。

その後、詩の世界から遠ざかていたのですが、最近になって、詩作を再開。
そして詩の同人誌をさまざまに読んでみたけれど、かつてのような勢いが感じられない。

一方で、インターネット上ではブログなどで詩を発表する若者が増えて、活況を呈している。
そこで、昨年からブログ「ココア共和国」を自らも始めてみることにしました。

そうすると紙の本とは違って、レスポンスが早いし、詩人だけではなくさまざまな人が見ているので、話の展開もおもしろい。
たしかに、コメントが多いし、それ自体もあったかいんだ。

「ブログでやりとりをしているうちに、これまでなら考えもしないようなことが浮かんでくる」(秋さん)。

昨年12月には、ブログから抜粋した文章や詩をまとめて、雑誌「季刊 ココア共和国」を発刊しました。
いがらしみきおさんに詩を書いてもらうなど、編集方針がユニークで。

現在、4号が発行されていますが、号を重ねるごとに販売部数が伸びているとのこと。
読者は、大学生や20代が中心。

これは後で購入することにして、とりいそぎブログで秋さんの詩を読んでみました。

気に入ったのは、「シミ抜き屋のラブレター」。

汚れちまった悲しみに
という詩があったけれど
 
悲しみというしみは
いつから付いているのでしょう
 
あなたの憎しみ、シミ抜きいたします
あなたの苦しみ、シミ抜きいたします
あなたの悲しみ、シミ抜きいたします

シミ抜き剤は、「ウソ」なんだ!

実は、私もたまに思い出したように詩を書いたりするのですが、いいわるいがよくわからないし、恥ずかしいので、推敲に推敲を重ねて、これで完成だ、と思ったら後はパソコンの奥深くにしまっています。
後は読まない。
これからも、この編集方針を貫きますぜ。

ココア共和国(Yahoo!ブログ)

宮城県詩人会(Yahoo!ブログ)

秋 亜綺羅,いがらし みきお,倉田 めば
あきは書館
¥ 525


「時には母のない子のように」寺山修司とカルメン・マキ

寺山修司の母親は、青森県三沢市で米軍将校のハウスメードをしていたといいます。
真っ赤な口紅、厚化粧、派手な衣装にハイヒール。
せっかんと親子げんか。
中学2年のときには、この将校を追って九州へ行ってしまう。

寺山の著作には、母親への愛憎がときに現れますが、いちばん有名なのは、ヒット曲「時には母のない子のように」です。
母への想いを、優しい言葉に置き換えて創った歌。

手許にある寺山修司の作品集(ちくま日本文学全集)を探したけど、詩と短歌には同じようなタイプのものは、他にみつからない。

うたの旅人:この少女には負ける…「時には母のない子のように」(朝日新聞2010.09.18)

寺山は65年から女性向けの詩画集を出版していました。その2冊目に「故郷の母のことを思い出したら」と題する詩がありました。

「天井桟敷」は資金集めのために寺山を囲む「サロンの会」を会費制で開いていました。「寺山フリーク」が集まって前衛映画を見たり、詩や歌を即興で作ったりしていました。ある日の会で、会社員の田中未知さん(65)が寺山のその詩に曲をつけてギターで歌いました。寺山は詩の一部を直し、題名を「時には母のない子のように」に変え、歌をレコード化することに「こだわり続けた」(九條さん)そうです。


そんなとき、混血の少女、マキ・アネット・ラブレス、後のカルメン・マキさんが「天井桟敷」の研究生募集の面接会場に現れます。

寺山の隣に座っていた妻の九條今日子さん(74)はこの日のことを克明におぼえているそうです。面接会場を舞台のように暗くして15人の応募者に「自分の人生」を語らせました。マキさんだけが大人びた声でたんたんと語りました。エキゾチックな顔立ち、無表情、「かげり」……。「歌でも何でも、得意なことやってみなさい」と寺山が注文しましたが、マキさんは寺山をじっと見つめたまま、何も言いませんでした。ヒョウのような目をしていました。

「強烈な存在感でした。この子には負ける、女優をやめてよかった……。正直、そう思いました」。松竹映画の青春スター「九條映子」として売り出していた63年に騒がれて寺山と結婚し、劇団の制作者となっていた彼女は「マキに時代を感じた」と振り返ります。九條さんと目が合った寺山は、満足そうに「いいねぇ」と言ったそうです。


研究生となったマキさんは、1年後、「時には母のない子のように」でデビューし、3ヶ月で100万枚を突破。
笑わない。沈黙。歌うときもアクションはない。

この「不機嫌な歌手」でなければ、寺山の想いを表現することはできなかったのでしょう。
聴くほどに切なくなる。




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