<< 【PR】時間の使い方の下手な社長は、自分をクビにしちまえ | main | 人見知りの日本人指揮者、ドイツの古い名門を復活 >>

無伴奏へ降りる階段はどこへ消えてしまったんだろう

ちょうど先日、一番町を歩いていて、ここに「無伴奏」があったな、と思い出したばかりでした。
古内泰生さん(古内歯科クリニック院長)のエッセイ「無伴奏のころ」(楽園倶楽部/2010年6月号)を読んだのは。

昭和40年代当時、仙台の電力ビルの裏通りのミシン屋の建物の地下に「無伴奏」というバロック音楽専門の喫茶店があった。
昭和44年(1969年)に開店し、昭和56年(1981年)に閉店したそうだから、わずか12年間しか存在しなかった店なのだが、この全国的にも珍しい音楽喫茶を未だに懐かしむファンは多いという。

喫茶店といっても、客がみんなスピーカーの方を向く教室スタイル。
本を読む者、居眠りと瞑想を行ったり来たりする者、煙草ふかす者。
私は、たいてい授業をさぼって時間をつぶすため、音楽通をきどるだけのために通ったのでした。

多分、私はこの店で初めてバロック音楽というものに本格的に触れた。最初に誰に連れられて行ったのか忘れてしまったが、それまでクラシック音楽といえば、音楽の教科書に出てくるようなものしか知らなかった私にとって、「無伴奏」のさほど広くない店内にあふれるバロック音楽はまさに衝撃だった。
パイプオルガンの重厚な響き、チェンバロのきらめき、古楽器による管弦楽曲の素朴な味わいなど、どれも耳に新しい音楽だった。
また、アルヒーフというレーベルにもそこで初めて出会った。
その後、カール・リヒター指揮・チェンバロ、ミュンヘンバツハ管弦楽団・合唱団によるアルヒーフレーベルのバッハのカンタータなどのLPを多少買い集めるようになったのだから、私もかなりかぶれてしまったと言えよう。


「無伴奏」がなくなってからは、クラシック喫茶は「ウィーン」が出現し、レーザーディスクでカラヤンの映像を見せていたけれども、「無伴奏」の個性は際立っていた。
音楽そのものにのめりこむ、あるいは音楽を通じて自分自身の心に向き合える貴重な空間だったなあ。

ジャズ喫茶もそうだったよ。

いま調べたら、「カフェモーツァルト」は健在です。
ここは女性向きだったけれども、今もそうだろうな。
近いうちに寄ってみよう。

仙台の喫茶店事情は、こちらに詳しい。

   →珈琲雑記帳〜仙台喫茶店今昔〜

小池真理子さんの小説「無伴奏」は、若いあの頃の、危険で美しい恋の冒険。
もちろん、この喫茶「無伴奏」が舞台です。
ずいぶん前に、一晩で読んだ。

評価:
小池 真理子
新潮社
¥ 540


コメント
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2018/02/07 12:11 AM
管理者の承認待ちコメントです。
  • -
  • 2017/06/14 6:44 PM
先日 友達との会話中 「無伴奏」の話が出て 懐かしさのあまり 検索・・・

やっぱり とおの昔になくなっていたんですね。

でも それに代わる? 「カフェ モーツァルト」があったので 行ってみたいと思います。

そうそう 確かに コーヒー一杯で 二時間とかという時代ではなくなって
ちょっと残念!
  • ゆき
  • 2015/03/05 4:25 PM
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
profile
calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
おとこざわの本棚
漫画の新聞
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM