小雪舞うなか、イタリア語講師の70歳、Hさんと立ち話。

雪がちらほら舞う中、いつもの休日のように、散歩兼業務に出動しました。
業務の中身は、シークレットなので言えませんがね。
小一時間かけて、団地の中をゆっくり歩く。

雪かきをしていたHさんと、新年のあいさつを交わす。

おたがいの知り合いのITコンサルタントNさんの消息を尋ねられたり、そういえばHさんこそ、イタリア語の先生のSさん、知ってるんではないですか、と聞いてみたりでしばし談笑。

Hさんは、市民講座でイタリア語を教えているんですが、自分の経験範囲では日常会話程度しかできないのに教えるのは大変だよ、と。

1時間の授業のために、5−6時間は勉強しなくちゃなんないとこぼすんだ。
もう歳だしね、頭に入らないと。

聞けば、一昨日に70歳になったばかり。

でも、それはよくわかりますよ。
僕もインターネットのことはいつまで経っても素人で、勉強しなくちゃいけないことばっかりだ。

また、最近、唱歌を中心に歌うコーラスに参加してるんだそうな。
そこはHさん以外は、60-70代の女性ばかりで、男性はHさんひとり。

モテていいですね。

「いや、いろいろ話しかけてくれるんだけれども、プライベートなことを根掘り葉掘り聞くんだ。奥さんはどんな人だとか、子どもがどこに勤めてるんだとか。いやになっちゃったから、もう辞める」

新しいことする気力がないなあ、とHさん。

でも、後輩の私が言うのもなんだけど、人生の楽しみは毎日が新しいことでしょう?

「いつまで経ってもベータ版」。
この精神でいきましょう、Hさん。


畳部屋からモテ男部屋に!...って、ほんとうは女性の部屋でした

なぜか男の部屋として紹介されてしまった、女性の部屋。

   →畳部屋からモテ男部屋に!モテ男部屋の全貌まとめ(ネタです)

当の女性が、なぜ?と言いながらも、畳の部屋2間をゴージャスな「モテ男部屋」と評された部屋に変身させたかを語っています。

いいなあ。

昔、僕も若いとき、安い素材を調達して、部屋のリフォームせっせとやってたわ。

30Wの直管蛍光灯を部屋のすみに立てかけて、間接照明ムードにしたり。

ブロックに板渡して、オーディオコーナーにしたりね。

引退後は家具作りが夢だけれども、最近、細かいものが見えなくなってきたしねえ。

でも、DIYリフォーム、また挑戦する!

それにしても彼女のブログ、美しいし、文章も惹かれるし、うまいですね。

「この道や 行く人なしに 秋の暮」芭蕉の句碑、仙台市新川に発見

この道や 行く人なしに 秋の暮

松尾芭蕉(Wikipedia)は、元禄7年(1694年)9月29日夜に、激しい下痢をおこし、それから2週間後の10月12日に没します。

この句は、下痢をおこす3日前の26日、大坂の料亭で句会があり、その時の発句でした。

余命いくばくもない最晩年の心境を詠った句に見えますね。

「この道」とは俳諧道のことか、昔通った「奥の細道」のことか。

さて、この句碑が、わが住まいの近所に見つかったという話。

2010年11月27日の河北新報に顛末が掲載されたので、まるごと引用させていただきます。

漂泊の芭蕉句碑、今再び 市民グループが偶然発見

思いがけない出合いが、碑をよみがえらせた。市民グループが偶然見つけたのは「行方不明」とされていた俳聖・松尾芭蕉のもの。建立は100年以上も前。その来歴は少々、謎めいていた。

 仙台市青葉区新川の新川生活センターの敷地内に、高さ60センチほどの細長い石が塚台に立つ。「道」「行人」などの文字が見えるが、黒ずんだ表面は摩耗が激しく、所々読めない。辛うじて、最後の2文字「芭蕉」が句碑であることを伝える。
 「15年もここで活動しているが、芭蕉の句碑があるなんて知らなかった」と、地元の市民グループ「広瀬川ほたるの会」事務局長の太田久美子さん(63)。
 句碑に気付いたのは偶然だ。10月中旬、新川地区のホタルの里づくりを記念する石碑をセンター前に建てた。設置場所を決めようと付近を歩いていて見つけたという。
 「触ると、抜けかかった歯のようにぐらぐら揺れた」と太田さん。長年放置されていたのか、周囲は草で覆われていた。
 東北や北陸を行脚して「奧の細道」を著した芭蕉だが、新川周辺を訪れた記録はない。建立の経緯を知る手がかりが、本の中にわずかにあった。
 全国の芭蕉の句碑を紹介する「石に刻まれた芭蕉」(智書房、2004年出版)。本文にはないが、新川の句碑に関する記述が巻末の「消滅・行方不明と思われる碑」の一覧にあった。
 「此道(このみち)を行人(ゆくひと)なしに秋の暮(くれ)」。晩年の芭蕉が大阪で詠んだ句だ。
 建立は1890年6月で、場所は新川分校内とある。作並小新川分校は現在位置から約500メートル離れている。詳しい記述はないが、句碑が本来あったはずの場所にないため、無くなったと思われたらしい。

 1969年刊行の宮城町誌を調べると、さらに意外な事実が分かった。
 もともと句碑は、新川付近から山形方面に伸びる「駒新道」という街道筋に建てられていたというのだ。「いつの日か建立場所から運ばれて、現在は新川分校に保管している」と記述している。
 駒新道は奥羽山脈を越える古い街道で、宮城、山形両県の交流を願う人々の手で明治期に整備された。しかし、その後、関山街道や笹谷街道が整備されると、人の往来が減り、廃道になった。
 時代に取り残された道の情景をイメージして建てられたが、廃道となって新川分校に移された―。史実に照らすと、そんな想像が膨らむ。

 句碑に関する人々の記憶はわずかだ。「小学生の時、新川分校の廊下に塚台のない状態であった」と、新川町内会長の早坂晃弥さん(73)。地元老人クラブ会長の石垣胞夫さん(78)は「戦後は近くの新川神社のお堂にあった」と証言する。
 転々とした句碑。現在地になぜ移されたのかも分からない。その姿は刻まれた句と同様、どこか切なさを感じさせる。
 住民らはほたるの里の石碑を、句碑を見守るように並べて建てた。周囲の草を刈り払い、倒れないように句碑の根元も補強した。「もう2度と場所を移ることはないと思う。大切にします」と太田さん。
 数奇な運命をたどった句碑は、ようやく人々の輪に包まれた。ホタルが舞う地で、穏やかな日々を過ごせるに違いない。

(写真キャプション)
「なんて読むのかな」。地元の子どもが句碑に見入る。句は体力が衰える中で孤独に芸道を追い求める心象風景を詠んだといわれる。「此道を」は「此道や」が一般的=仙台市青葉区新川

今は廃道になっている駒新道。人影が途絶え、荒涼とした雰囲気が漂う。句碑は当初、この道沿いに建てられたらしい

以前、駒新道のことを知って、興味を持っていましたが、見つけていただいてありがとうございます。

地元の人が気づかないことが、他所の人によって脚光をあびることって、よくありますものね。

「奥の細道」は紀行本ではなく、仙台藩の内部を記した報告書であるという説もあるようですが、どういう経緯で、この句がここ新川に置かれたのか。

とぼとぼと秋の日に峠を目指す旅人の姿が眼に見えるようです。


仙台の外国人向け地図「Sendai Info Map」

旅行や滞在で仙台市に来た外国人に、仙台の情報をどうやって渡すかな、とつらつら考えているうちに、だれかやってたなと記憶をたどって、ネットを探すうちに発見しました。

写真家の尾形奈美さん。
一度、お会いしましたね。

尾形さんのグループが発行しているフリーの英語情報誌は、「Sendai Info Board」。2008年に創刊し、これまでに5号を発刊しています。

Sendai Info Board

尾形さんはジャズメンの写真を撮るために、シカゴだったかな?5年滞在。イタリアでも半年暮らしたそうです。

今度、発行したのは、仙台市中心部の飲食店情報などを掲載した外国人向け地図「Sendai Info Map」。
9月から配布を始めました。

マップは緑が基調のカラーB3判。2万部。
レストランやバーなど約50店のほかデパート、カフェなど、仙台に滞在する外国人に役立つ店を載せました。
「英語が話せる」「英語メニューがある」「お通しがある」というきめ細かな情報もマークで分かるように。

初めての店でも気軽に入ってもらえるよう牛タン、洋食、和食などの12店舗は料理の値段も表示。
「とりあえず」「飲み放題」といった日本語の解説もあります。

私も入手しましたが、さすが経験者ならではの、ナイスな編集ですね。

今度、ご相談することもありそう。
そのときはどうぞよろしくお願いします。


「せんだい・みやぎ オータムセミナー」10/11で講演、ご参加自由

10/11体育の日、「せんだい・みやぎ オータムセミナー2010」が東北学院大学土樋キャンパスにて開催されます。
市民講師による100超の講座を開催するもので、私も講師の一人として参加いたします。

セミナーは、今回で4回目の開催だそうですが、私は初参加。
高校生・大学生等の若者が聴衆のメインのようです。

で、私がお話するのは、

  • 講座タイトル:インターネットの世界で働くこと
  • 講座内容:
  • 会社員時代、社長に文句言ったら給料が増えた話。35歳で独立。「情報の編集工学」を追求しネット業界に参入した話。Web業界の現状や裏話、必要なのはオタクとコミュニケーション、会社なんて早く辞めろ、など。
  • 時間:5時間目(16:00-17:00)

先ごろ、どんな話をするのかということで、スタッフの大学生・高橋さんからインタビューを受けました。


Webデザインの世界を若い人に伝えたいなあと思ってエントリーしたのですが、高橋さんと話をしているうちに、インスパイアされました。

子どもの頃から「編集」に興味があったことや大学生時代のあまり言ったことのない生活、社会人になって水を得た“河童”のように「出版編集」の仕事に邁進したこと、そして「情報の編集工学」を目指して独立、インターネットに出会うまで。

この前半生も語ったほうが興味を引きそうと思い直し、それに半分の時間を費やすことにしました。

↓当日のレジュメです。クリックして拡大。
全部はムリなので、ピックアップしてお話しします。

おとこざわの講演レジュメ


当日は高校生の息子やかつての上司も見にくるとのことで、やりづらいよなあと思っていますが、せっかくですからたくさんの人に聞いてほしいなあ。

  • <セミナー概要>
  • せんだい・みやぎ オータムセミナー2010
  • 日時:10月11日(月・祝) 10:00-17:00
  • 会場:東北学院大学 土樋キャンパス
  •        仙台市青葉区土樋 1-3-1(地下鉄五橋駅徒歩5分/JR仙台駅徒歩20分)
  • 費用:入場無料
  • 主催:オータムセミナー実行委員会
  • 共催:東北学院大学
  • 詳細:http://www.heartbest.net/autumn2010/ 

出演者は、それぞれの世界で活躍する個性的な人々。
私の知り合いもたくさんいて、なるほどこれはおもしろそうだ。

若い人も興味をもつかもしれないけど、オトナのみなさんにこそ聞いてほしい。
純なココロを持った講師を探してみてください。
刺激になるはずですよ。


デザイナー八重樫良守さんの残したものは

ガラス越しに、気になる写真や絵画の展示が見えたので、東北工業大学一番町ロビーをのぞいてみました。

「八重樫良守展」。

八重樫良守(やえがしよしもり)さんは、東北工業大学ライフデザイン学部クリエイティブデザイン学科の教員だったが、昨年11月に急逝され、その追悼展でした。

自分のマークをほのぼの系線画イラストで表現したかと思えば、幾何学状のシルクスクリーンの連作あり、毎年の年賀状のコレクション、コラージュを多用したスナップ写真のスクラップなど。

鋭い感性というよりもあたたかな人柄を感じさせる作品群に、心なごみました。
「八重樫学校」と紹介されているように、学生や卒業生に慕われた方のようです。

印象深かったのは、氏の学生時代の写植作品。
文字組みの基本で長く保存されていたのが、愛着を感じます。

写植の文字盤の横にペーパーセメントやディスペンサーも飾られて、思わず手にとって懐かしみました。

八重樫さんとは、私も30年ほど前にお会いしたことがありました。

「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎詩、武満徹曲)を最近、偶然何度か耳にしました。
これ、最初に聞いて以来、心を揺さぶられずにいられない名曲です。

八重樫さんは、亡くなって、作品を残された。
私のように、袖摺り合っただけなのに、生きていた人柄を偲ばれる。

芸術家の真骨頂ではないかと思われます。

合掌

八重樫良守展
〜デザイナー・八重樫良守さんを偲んで〜

日時:8月13日(金)〜8月18日(水)
会場:東北工業大学 一番町ロビー 1Fギャラリー



ミクシーで同級生とまったり会話、の果てに

先日、東京出張の折に、夜の相手がいなかったので、高校の同級生と連絡を取って、30年ぶりの「旧交を暖めました」...

いや、違う!

彼とは高校時代にろくに話をしたこともなかったぞ。
僕は吹奏楽部、彼はギター部だったので、音楽室をシェアしていたはずなのに。

そんな彼とコンタクトが取れたのは、mixiでした。

同級生を調べる機能があって、なにげなくいじっていたら、彼を見つけたのでした。
とはいえ、名前を見ても誰かわからず、卒業アルバムを見てようやく顔を確認。

30年を経て、はじめてのまったり会話が始まったのが、つい2ヶ月前です。

とっても暖かい対話でした。
専門家だと知って、家族の悩みにも乗ってもらいました。

彼の職場の近くで待ち合わせをして、そのまま居酒屋へ。
ほとんど初めて話すのに、さすが同級生。
最近の生活、同級生の消息、高校のときの話、妻との出会いなど、次から次へと話題が尽きない。
とうとうハシゴして、飲み過ぎてしまいまいました。

だいじょうぶだったかい、ひろぴー。

また機会を作って飲みましょうぜ。
それまで、おたがいに元気で暮らしましょう。


放射性廃棄物の意見を街角で自信なげに語った

一作日、街を歩いていたら演劇関係の知り合いを見つけたので声をかけたら、「お、いいところに。ひとりゲッット!」と手をつかまれたのでした。

ん、なに、なに?

「テレビCMの撮影してるんだけど、出演してもらえませんか。」

見ればカメラを担いだ人とか、巨大なマイクとか差し出す人が。

原子力廃棄物についての意見を聞かせてほしいのだそうですが、そんな見識ないですよ。
しかも、僕、カメラを向けられると緊張するタチだし。
でも、まあいいか、と挑戦。

インタビュアーが意見を誘ってくれる。

原子力発電の割合はどれくらいだと思いますか?
高レベル放射性廃棄物って知ってますか?
どのように処分すればいいと思いますか?
いち、宇宙に飛ばす。
に、南極の氷の下に埋める。
さん、地上で管理する。
よん、地下に埋める。

対話の結果、私が一番最後に選択した、よんに落ち着いたところで、インタビュー終了。
何人もインタビューして、ワンカットずつつなげて30秒のCMにするとのこと。

で、このCMのクライアントは?

NUMO(原子力発電環境整備機構)

サイトを見ると、なんだ、「高レベル放射性廃棄物の地層処分事業に取組んでいる」と明記されているではないですか。

10月からのテレビCMで、私が採用されるかどうかはわからないとのこと。
でも、出たらちょっとした有名人ですね。

それにしても、現代には答えのない質問があふれていますね。
社会問題の解決は難しいと再認識。


仙台トラストシティの内覧会でお上りさん状態

7/30、仙台トラストシティの内覧会に参加してきました。
8/1、本日がグランドオープンです。

   →SENDAI TRUST CITY

旧東北学院中高跡地の4000坪の敷地に、オフィス、商業、ホテル、マンションを作りこんだ複合施設。
延床面積と高さにおいて関東以北最大の施設になります。

内覧会は、まずオフィス棟の15階に受付があり、まだ間仕切りが行われていないだだっ広いフロアをそぞろ歩きます。
(まだ入居率5割)
床高までガラスの大窓から眺める仙台市の眺望にスケール感を感じました。

今日だけ特別、女性トイレも見学しましたが、美しいのはもちろんですが、個室より洗面台の方が多いこと、個別の小物をしまっておけるらしいミニミニロッカーは初めてみました。
女性が多い企業がフロアを借りれば、女性トイレのほうを多くしてくれるプランもあるそうです。
喫煙室も立派でしたよ。なくなればもっといいけど。

いよいよお楽しみのホテルですが、支配人自らが玄関でお出迎え。

エレベーターでフロントのある25階へ。
シンプルなチャペルと重厚な宴会場を眺めていると、ウチの娘の結婚式はここだ、と思わずガッツポーズ。

35階の客室へ。
まず1泊42,000円の部屋。広さはさほどでもありませんが、バスルームと調度品は美しいですね。浴室内にシャワーがガラスで仕切られており、外国人を意識した仕様のようです。

次に200,0000円の部屋。
長いテーブルに椅子が6脚あるなど、ミーティングを意図した部屋。書斎もあります。天井までの本棚まで。
秋に開かれるAPECのような国際会議では重宝しそう。
どんなお客様を想定していますか、とスタッフにお聞きしたら、わかりかねますと。

次は150,000円の部屋。
こちらは2-3人でのプライベートなステイを想定しています。
唯一の角部屋だそうで、眺望がいいですね。松島から蔵王まで見渡せます。

最上階37階の日本料理レストラン。
おお、仙台にもこんなに格調高いレストランができたか。
個室がたくさん用意されています。
値段はと聞くと、ランチは3000円くらい。夜はアラカルトなのですが、前菜と飲み物なら1500円くらいですよ、と。
そう考えれば使えますねえ。

ホテルを降りたところで、すでに1時間半も経過していたので、マンション棟は本日はパス。前に見ていますし。
(マンションもまだ空きがあるようですよ)
商業棟も後でこれますから、いずれのお楽しみに。

仙台にこれだけの施設ができて誰が使うんだろうと半信半疑だったのですが、見た後では、やはり需要が喚起されるだろうな、という思いに変わりました。
一流のものに触れる機会は大切ですから、特に若いうちに。

プレゼントにホテルのシャンプーセットと半額券が入っていました。
シャンプーセットは妻への土産に、半額券は...なんとかして使わねば(笑)。

↓こちらは1年前の眺望ツアーの様子。

日本びいきのキルギスの女性、消息がとれず

「キルギス」と聞いても、中央アジアのどこかかな?という程度の知識しかありません。

旧ソ連、91年に独立。
国土は日本の半分ほど、人口は約550万人。
主な産業は農業と牧畜で、GDPは日本の1千分の1程度。
未開発な地域です。

2010年7月2日の朝日新聞に、気になる記事が載っていました。

首都ビシケクに、流暢な日本語を話し、日本人そっくりな20代前半の女性が住んでいた。グリザット・アラゾバコーワさん。だが、最近の混乱の中、彼女の消息は途絶えたままだ。

今春、民衆蜂起で大統領が追放。
先月末の国民投票でやっと新しい政権が承認されたが、民族間の対立で不穏な空気が残るなかのこと。

 2007年秋にモスクワで開かれた旧ソ連圏の大学生らの日本語スピーチコンテストに、グリザットはキルギス代表としてやってきた。日本人によく似ている、キルギス系住民の典型的な顔立ちだ。

 達者な日本語を話す各地からの代表の中でも、グリザットの実力は目立った。「キルギスにいらっしゃい」と題し、日本人にほとんど知られていないキルギスの現実をよどみなく説明した。

 「イスラム教徒は多いけど、セクシーな格好をしている女性もいますよ」と、笑いも誘った。将来は日本でアイドルデビューし、祖国を案内する番組に出演するのが夢だ、と締めくくった。

 彼女は実は日本に留学したことすらなかった。大学の4年間、日本人の講師から学んだだけだった。それでも、スピーチコンテストでは2位になり、賞品として日本行きの航空券を贈られた。


記者は2008年に、グリザットと再会し、ビシケクの街並みやシルクロードの遺跡や湖などを案内してくれたそうです。

 グリザットは、前年のスピーチコンテストで2位入賞して実現した日本旅行の思い出を、目を輝かせて語ってくれた。洗浄便座に驚き、思わず写真に収めたこと。渋谷や原宿で、あこがれの女子高生を目撃し、感激したこと。キティちゃんグッズを手に入れたこと……。

 記者が「また日本に行きたい?」と聞くと、グリザットの表情は少し暗くなった。「行きたいけど、今の給料では暮らしていくのが精いっぱい」。彼女は大学卒業後、母校で日本語の講師になった。キルギスの1人当たりの国民総所得は700法別6万3千円)を上回る程度。彼女ほどの能力があっても、金銭的な余裕はあまりない。

経済的には貧しくても平穏な暮らしを送っていたキルギスの人々の運命は、今年に入り暗転します。

 彼女の職場は、4月の政変で、デモをしていた市民多数が治安部隊に銃撃され、亡くなった大統領府付近にある。騒乱後、グリザットあてに記者がメールを送っても、きちょうめんな彼女が、いつもならすぐに出してくるはずの返信が来ない。今分かっている連絡先はメールだけ。ほかに安否を知る手だてはない。

 彼女はメールアドレスの一部に、日本語の単語を採り入れている。「genkiyo(元気よ)」と。その通りであることを願うばかりだ。

世界の知らないところにも日本とつながって、日本を愛してる人がいます。
彼女の運命が気になります。
グリザットさんが無事であることを祈ります。


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